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がん悪液質の「リスク段階」を提唱:早期発見と介入の新たな視点

2025.11.21

著者:前田圭介(愛知医科大学栄養治療支援センター)

はじめに

がん悪液質は、進行がん患者の生存率と生活の質に深刻な影響を与える症候群である。進行性の体重減少、筋肉量の低下、全身性炎症を特徴とするこの病態に対し、早期介入の重要性が認識されながらも、「いつから介入すべきか」という問いに対する明確な答えは存在しなかった。本稿で紹介するSakaguchiらの研究は、Asian Working Group for Cachexia(AWGC)の診断フレームワークに基づき、悪液質発症前の悪液質発症リスクを持つ患者を同定するための簡易基準を提案している。

なぜ「リスク段階」の定義が必要なのか

悪液質は一度進行すると治療抵抗性となりやすく、介入のタイミングが予後を左右する。栄養サポート、運動療法、抗炎症治療などの多面的アプローチは、病態の初期段階で開始するほど効果が高いことが示されている。しかしながら、従来の診断基準は既に悪液質が成立した患者を同定するものであり、その前段階にある脆弱な患者を拾い上げる仕組みが欠けていた。この研究は、アジア人の体格特性を考慮したAsian Working Group for Cachexia(AWGC)の診断フレームワークを応用し、日常診療で測定可能な指標を用いてリスク段階(at risk)を定義するという実践的なアプローチを採用した。

提案された基準の特徴

提唱するリスク段階の定義は、臨床現場での実用性を重視した設計となっている。体格指標、体重変化、食欲、筋力、炎症マーカーという5つの領域から構成され、これらはいずれも特殊な機器を必要とせず、外来診療の場でも評価可能である。重要なのは、これら5項目のうち1つでも該当すれば「リスクあり」と判定する点である。この包括的なアプローチにより、従来の基準では見逃されていた患者を早期に同定できる可能性がある。また、各指標は悪液質の異なる病態生理学的側面、すなわち栄養不足、代謝異常、筋力低下、全身性炎症を反映しており、単一のバイオマーカーに依存しない多角的な評価である。

がん悪液質の病期分類再考:AWGCコンポーネントに基づく「リスク群」カテゴリーの提唱 Sakaguchi T, et al. | J Cachexia Sarcopenia Muscle. 2025 | 後ろ向き観察研究 | n=364 背景・目的 ・がん悪液質は進行性の体重減少・筋萎縮・全身炎症を特徴とする・早期介入が重要だが「リスク群」の定義は確立されていない・AWGC(アジア悪液質ワーキンググループ)の5項目に基づき 「リスク群」を定義し、その予後予測能を検証 対象・方法 ・愛知医科大学病院で緩和ケアを受けた進行がん患者364名・悪液質なし群 9名(2.5%)、リスク群 78名(21%)、 悪液質群 277名(76%)に分類・浮腫なしサブグループ(n=252)での層別解析を実施 AWGCコンポーネント(リスク群:1項目以上該当) ① BMI <21 kg/m2② 体重減少 ?2%(3?6ヶ月間)③ 食欲不振(自己申告)④ 握力低下(男性<28 kg、女性<18 kg)⑤ CRP上昇(>0.5 mg/dL または >5 mg/L) 臨床的含意・限界 ・AWGC 1項目でもリスク群として早期介入の対象となりうる・浮腫は体重・BMI評価を交絡させるため層別解析が重要・限界:単施設、後ろ向きデザイン、前向き検証が必要 主要結果:生存期間中央値(Kaplan-Meier解析) ・悪液質なし群(n=9):生存期間中央値 到達せず・リスク群(n=78):381日・悪液質群(n=277):157日・3群間で有意差あり(Log-rank検定 p=0.005) NR 悪液質なし 381日 リスク群 157日 悪液質群 OS (日) 単変量Cox回帰解析:ハザード比(95%CI) 全コホート 浮腫なし群 0.5 1.0 2.0 4.0 ハザード比(HR) BMI <21 1.25 [0.95-1.66] 1.54 [1.07-2.21]* 体重減少 ?2% 1.20 [0.88-1.64] 1.58 [1.02-2.46]* 食欲不振 1.60 [1.17-2.18]** 1.47 [1.01-2.15]* 握力低下(男) 2.17 [1.49-3.16]** 2.51 [1.60-3.94]** 握力低下(女) 1.87 [1.20-2.92]** 2.16 [1.15-4.05]* CRP >5 mg/L 2.58 [1.73-3.86]** 2.72 [1.65-4.50]** *p<0.05 **p<0.01 Take-Home Message 【結論】 AWGC基準の5項目のうち1つでも該当すれば「悪液質リスク群」として早期介入を検討すべき 【浮腫の影響】 浮腫が存在すると低BMI・体重減少の予後予測能が低下する(マスキング効果)→ 浮腫なし群では両指標とも有意に予後と関連 【最も強い予後因子】 ・握力低下(HR 2.17?2.51)・CRP上昇(HR 2.58?2.72)→ 浮腫の有無に関わらず安定した予後予測能 【臨床実践への示唆】 ・簡便な5項目で早期リスク層別が可能・不可逆的悪液質に至る前の早期介入が重要・栄養指導、運動療法、抗炎症治療、 心理社会的支援などの集学的アプローチ 【今後の課題】 ・多施設・前向き研究による検証が必要・介入試験のエンドポイントとしての有用性 AWGC: Asian Working Group for Cachexia | HR: Hazard Ratio | CI: Confidence Interval | CRP: C-Reactive Protein | NR: Not Reached | OS: Overall Survival

今後の展望

この研究が提案するat risk of cachexiaの概念は、がん悪液質に対する先制的介入という新たなパラダイムを切り開く可能性を持つ。リスク段階にある患者を早期に同定することで、栄養カウンセリング、運動プログラム、心理社会的支援といった多面的介入を適切なタイミングで開始できる。今後は多様な患者集団における前向き検証が必要であるが、シンプルかつ実践的なこの定義は、悪液質が不可逆となる前の介入機会を臨床医に提供し、がん患者のケアの質向上に貢献することが期待される。

文献

Sakaguchi T, Maeda K, Yamasaki M, Mori N. Revisiting Cancer Cachexia Staging: Introducing an “At Risk” Category Based on AWGC Components. Thorac Cancer. 2025 Nov;16(22):e70188. doi: 10.1111/1759-7714.70188. PMID: 41261784.

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