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施設入所者の転倒予防

2026.1.15

著者:井上達朗(新潟医療福祉大学)

はじめに

 超高齢社会が進行する我が国において、介護施設に入所する高齢者の転倒は、医療・介護現場に共通する重要な課題である。施設入所者は、身体機能低下や認知機能障害、多疾患併存、薬剤使用といった内的要因に加え、生活環境の変化や人的資源の制約といった外的要因が重なり、転倒リスクの高い集団である。実際、介護施設では一定の割合で転倒が発生しており、その一部は骨折や頭部外傷などの重篤な傷害に至り、日常生活動作(ADL)の低下や生活の質(QOL)の悪化、さらには生命予後にまで影響を及ぼす可能性がある。

 一方で、施設内で生じる転倒はしばしば「事故」として捉えられ、責任追及や過度な安全対策へと議論が傾きやすい。しかし、高齢者の転倒は単一の原因によって生じるものではなく、複数の身体的・精神的・社会的要因が相互に関与する現象であり、老年症候群の一つとして理解する必要がある(図1)。すなわち、転倒は高齢者が活動的に生活する限り一定の確率で生じうる出来事であり、その発生自体をゼロにすることには限界がある1)。

 施設における転倒予防は「転倒を起こさないこと」だけを目的とするのではなく、転倒の背景にあるリスクを適切に評価し、転倒が生じた場合に重篤な転帰を最小限に抑える視点を含めた包括的な取り組みとして捉えることが重要となる。過度な行動制限や身体拘束は、一時的に転倒リスクを低減する場合があるものの、活動性の低下や廃用、せん妄の誘発などを通じて、かえって長期的な転倒リスクや健康状態の悪化を招く可能性が指摘されている。したがって、施設入所者の尊厳と自立性を尊重しながら、安全とのバランスをどのように確保するかが、現場における本質的な課題である。

図1. 老年症候群の一つとしての転倒

施設入所者における転倒の実態

介護施設に入所する高齢者は、地域在住高齢者と比較して転倒の発生頻度が高い集団である。施設入所者では、年間の転倒発生率は平均で一人あたり約2回、約4割の入所者が1年以内に一度は転倒を経験しているとされている2)。これらの転倒は、入所者本人の身体的・精神的負担を増大させるだけでなく、介護度の進行や在宅復帰困難、医療機関への再入院といった経過をたどることも多い。

 施設における転倒の特徴として、日常生活の中で比較的頻繁に行われる移動動作や排泄動作に関連して発生する点が挙げられる。特に、居室内やトイレ周辺、廊下など、生活動線上での転倒が多く、必ずしも危険な環境や特殊な行動に限定されない。これは、施設入所者が一定の自立性を保ちながら生活していることと関連している。

 また、介護老人保健施設のようにリハビリテーションを実施する施設では、身体機能や活動性が回復過程にある入所者も多く、活動量の増加に伴って転倒のリスクが一時的に上昇する場合がある。この点は、転倒が単なるケアの質の問題ではなく、生活機能の維持・改善と表裏一体の現象であることを示している。したがって、施設における転倒の実態を理解する際には、転倒発生の頻度だけでなく、その背景を含めて評価する視点が不可欠である。

老年症候群としての転倒

高齢者の転倒は、特定の疾患や単一の障害に起因する現象ではなく、加齢に伴う多面的な機能低下を背景として生じる点に特徴がある。このような特徴から、転倒は老年症候群の代表的な症候の一つとして位置づけられている。老年症候群とは、転倒、せん妄、尿失禁、褥瘡など、高齢期に高頻度でみられる症候の総称であり、複数の要因が相互に関連しながら出現する。

 転倒は、フレイルやサルコペニア、認知機能障害、抑うつ、ポリファーマシーといった他の老年症候群と密接に関係している。例えば、筋力低下やバランス機能低下は転倒リスクを高める一方、転倒を契機とした活動量の低下は、さらなる筋力低下やフレイルの進行を招く。さらに、転倒後の恐怖感や自信喪失は、心理的側面からも活動制限を助長し、悪循環を形成する。

 このように、転倒は老年症候群の連鎖の中で生じ、またその連鎖を加速させる要因ともなり得る。したがって、施設入所者の転倒を理解する際には、単発の出来事として評価するのではなく、老年症候群全体の中で位置づける視点が重要である。

施設における転倒の主な原因

 施設入所者の転倒要因は、大きく内的要因と外的要因に分けて整理することができる。内的要因としては、筋力低下、歩行障害、バランス機能低下といった身体機能の問題に加え、認知機能障害や注意障害、せん妄などの高次脳機能の変化が挙げられる。これらは加齢や基礎疾患の進行に伴って増悪しやすく、医療的介入によって完全に改善することが難しい場合も多い。

 また、薬剤使用も重要な内的要因である。睡眠薬、抗不安薬、抗うつ薬、抗精神病薬などの向精神薬は、ふらつきや反応時間の遅延を引き起こし、転倒リスクを高める可能性がある。さらに、複数薬剤の併用は有害事象のリスクを増大させ、転倒に至る背景因子として無視できない。

 一方、外的要因としては、施設環境やケア体制が関与する。入所に伴う生活環境の変化、床材や照明、手すりの配置、履物の選択、見守り体制などは、転倒リスクに影響を与える。特に施設では、在宅と比較して生活様式が変化するため、環境への不慣れが転倒の契機となることがある。これらの内的・外的要因は相互に影響し合い、複合的に転倒リスクを形成している。

転倒はどこまで予防できるのか

 高齢者施設における転倒予防に関する研究は数多く報告されているが、転倒の発生そのものを一貫して有意に減少させる介入は限られている。運動療法、環境整備、薬剤調整、多因子介入などは、一定の条件下で有効性を示す場合があるものの、その効果は一様ではなく、施設入所者の多様性を反映して結果にはばらつきがみられる。

 一方で、転倒による重篤な傷害や入院、死亡といったアウトカムに着目すると、いくつかの介入が有益である可能性が示唆されている。例えば、筋力やバランス機能の維持を目的とした運動介入は、転倒率を大きく低下させない場合であっても、傷害性転倒の割合を減少させる可能性がある。また、薬剤の適正化は、転倒そのものよりも、転倒後の重篤な転帰を抑制する観点から重要である。

 これらの知見は、施設における転倒予防の目標を「転倒ゼロ」に設定することの限界を示している。むしろ、転倒が一定程度生じることを前提としたうえで、転倒後の影響を最小化する戦略を含めた包括的な予防が現実的であると考えられる。

まとめ

 施設入所者における転倒は、老年症候群の一側面として捉えるべき現象であり、完全な予防には限界がある。しかし、転倒の背景にある多因子を理解し、科学的知見に基づいた介入を行うことで、転倒による重篤な転帰を減少させることは可能である。身体拘束に依存せず、入所者の尊厳と生活機能を尊重した転倒予防を実践することが、今後の施設ケアにおいて重要な課題である。

文献

1.日本医療安全学会,日本転倒予防学会,日本集中治療医学会ほか.介護・医療現場における転倒・転落~実情と展望~.2023.
2.日本老年医学会,全国老人保健施設協会.介護施設内での転倒に関するステートメント.2021.


本記事は仲谷鈴代記念栄養改善活動振興基金の支援を受けています

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